今回の旅の主な工程
1日目 東京駅(20:30発)~出雲大社(9:30着) 夜行バス
2日目 出雲大社参拝
出雲市駅(14:30発)~広島バスセンター(17:40着)高速バス
広島市内ホテル泊
3日目 広島市内~宮島口駅 JR移動 フェリーで宮島渡航
厳島神社参拝
広島市内観光
広島駅(20:30発)~ 夜行バス
4日目 新宿バスタ(8:30着)
2017年夏の旅行も3日目となった
前日より広島市内のホテルで1泊。夜も更けて早朝6:00起床となった
普段は朝食を取らないのであるが、ホテルに泊まっているときなどは朝食をいただいている
日々の生活は変わる事もないのだが、旅に出た時など朝食を取ることにしている。
準備も整い、出発。今日は世界文化遺産に登録されている日本三景の一つ安芸の宮島へ渡り、厳島神社などを参拝しようと思っているホテルで効果的な行き方をフロントに確認。路面電車で西広島駅まで移動する
この路面電車が古く床は木で出来ている。昭和46年、神戸市電より移管と書いてあったので神戸で10年走っていたとすると昭和36年から走っている事になる。車体は古さ満載であったが椅子も奇麗になっていたし最新の料金支払いシステムも導入してあった。気になったので運転席を見たが昔風だったのでやはり古いのだろうと思う。運転手さんが「交差点よーし」てきな指差称呼をしていたのが印象的であった。
JRに乗り換えて20分程度、宮島口駅に到着する。駅を降りると宮島へ渡るフェリーの看板が目に入る。脇には瀬戸内海がチラ見していた。降りた人は多い。
行きはJRフェリー
JRフェリーと宮島フェリーは航路が微妙に違い宮島フェリーはほぼ真っ直ぐ宮島の桟橋へ向かう感じでJRのフェリーは大鳥居の近くを通り桟橋へ向かう感じとなっている。事前に調査してあったためJRフェリーで鳥居を見ながら宮島へ渡る事とした。
フェリーは片道180円
15分程度である
牡蠣の養殖いかだだろうか?
瀬戸内海のほんの一角に漕ぎ出しただけであるが、昨日見た日本海とは違い穏やかで色の濃い海。午前の陽射しが波に反射してキラキラ美しい海であった。
それにしても人が多い。外人さんもかなりな人数が乗っている状況である。
海に浮かぶ?大鳥居
正確には立っている様なのであるが?
周りにはカヌーなどが多く景観的には若干残念なところは否めないが、カヌーで大鳥居をくぐるのを楽しみとしている方も居る。これは批判する話ではない。人それぞれである。
写真で写っている人と対比で鳥居の大きさが判るのも良いのかもしれない。
60tもの巨大な鳥居で自立して台風でも倒れないと何かに書いてあった
島に渡るとまず鹿に出迎えられる
エサを欲しがり人について歩いていくる
隙あらば頭をバックに向かって出してくる
そんな、状況であった
人になついており触れても興奮したりしない
平清盛公の銅像
厳島神社を整備して現在の形にした功労者で平家の氏神とのこと。平安の時代より続く寝殿 1200年代より続いているそうである。平家の築いた文化とはなんだったのか?源氏の武家社会はのちの日本にどんな影響を及ぼしたのであろうか?そんな思いをはせながら表参道を通らず海岸沿いを厳島神社方面へと歩く。
一旦、厳島神社の入り口を過ぎて仲見世方面の階段より太閤秀吉が造営した千畳閣へと登ってみた
雰囲気の良い路地より階段を上って千畳閣へ上る
横には五重塔がありこれは厳島らしく朱色で美しい。
これはあくまで想像の話であるが、秀吉がこれを造営したこの場所は厳島神社を見下ろす場所にあり権威の象徴だったのではないだろうか?さすがに千畳はオーバーなのだが秀吉が死去して造営が中断したそうであるが、これが完成した暁にはこの豊国神社が厳島神社を上回る壮大な物になっていたのではないだろうか?そう感じた。
内部には当時の武将たちが祝いの品として送ったであろう絵や書が多く飾ってある。
とにかく広く往時のままの状態を保存しいるのには頭が下がる。太い柱を立てるには大きな木材が必要である事は想像にたやすい。巨万の富を尽くして豊国神社、自分の名前を冠した神社を作る。それはロマンなのだろうか?
海と山から吹き降ろす風が通り清々しい空間になっていた。とにかく気持ちの良い空間であった。
厳島神社の入り口付近より上る事もできる千畳閣は軒下の空間で移動できる。こんな大きさも感じられてとても良い経験が出来た。
海岸通りより望む厳島神社
今日は大潮
海に浮かぶ朱色の寝殿
とても美しい
いざ、厳島神社参拝
千畳閣の厳島神社側より降りてくると入館に長蛇の列!
これは予想外の人数である。
待つ事十分程度
300円を払って入館である
何をモチーフに造営された寝殿なのか?
竜宮城を再現したかったのか?平家の美意識が感じられる実に面白い神社である。長い廊下があり幾つかの祠がありそれぞれ趣がある。
本殿に着くまでにまたぞろ廊下を歩いての移動である。人が多いのでアトラクション感覚もあるが静かな時であれば厳粛な感じになるのではないだろうか?そうも感じた。
こちらが本殿である
本殿は海側ではなく陸側なので海側ばかりを通ってここを通過してしまう人がそこそこいると思った。
本殿も美しく装飾されていて美意識の高さがうかがえた。
本殿の脇のお守り売り場の脇に御朱印場があり20分程度待って御朱印をいただいた。あまりにも人が多く神官さんも難しい顔になっていた。
御朱印の料金が書いていなかったので、気持ちなのだなと思い500円を出したところ200円を出されて300円になっております。といわれてずいぶん良心的なのだな~と感心した。並んでいる最中、外国人お方がずっと覗き込んでおり何をしているのか興味津々の様であった。御朱印をもらいお札を買って御朱印場の前を通った所、先ほどの外国人の方が並んでいたのを見ていい記念になるよな~そんなおせっかいな感情を持った。
少々気になったのだが休息を取るための施設が中にはないので本殿の海側のテラス状になっている辺り。欄干の所に腰を下ろしている人は数名いたのだがそんな事でも世界文化遺産が傷むので何か休息を取れる施設があってもいいのか?そう思った。
能楽堂(だと思う)
ここで見る能は別格なのではないか?
宮島にはほかにも色々な神社仏閣や展望台、水族館などがあるのであるがそれはまたの機会にして、とりあえず名物探索。
まだ11:00台ではあるが名物の穴子丼をいただく事にした
厳島神社のすぐそばにある山城屋と言うお店に入った
穴子丼が楽しみである
穴子丼(大盛りでご飯少な目)2,200円
普通盛りで穴子を多くしてもらえるか?そう聞いたところそれはないとのことだったので、では大盛りにしてご飯少な目はできるか?そう聞いたところそれならば大丈夫と言われたのでそうしていただいた。穴子多めにしてほしかったのである
穴子の身は柔らかめで癖がなく甘しょっぱい味付けなのだがくどくなく食べやすい。すし店でいただく穴子とも違い焼いて出てくる穴子で鰻よりくどくなく食べやすかった。隣の3家族程度の小団体の広島弁がエグかった。
今回はこれで宮島を後にして広島観光へ行こうそう考えて腹ごなしにゆっくり歩いて移動する
途中でこんな鳥にも出会った
宮島と言えば牡蠣
と言う事で焼牡蠣もいただいた
500円
美味しかった
表参道の様子
こちらはさらに食べ歩きもできるし沢山の土産物屋が軒を連ねている。ほぼ「もみじまんじゅう」
この中の一軒
牡蠣屋と言う所で牡蠣の瓶詰(オイル詰め)を二個購入
1,200円×2
土産に饅頭も悪くはないが甘い物ばかりでも面白くない。できる範囲で地元色の強い物をと探していた一品でもある。
自分では食べていないので味などは不明であるがフォアグラの様な味がするとの書き込みもあった。
表参道でお土産を買い来た道を戻る
広島駅でJRを降りて路面電車で移動する
広島のおそらく中心地なのであろう場所に名物を食べに行こうと言う趣向である
途中で見かけたBEERのゲート
広島の名物と言えば牡蠣なのか?お好み焼きなのか?
牡蠣はシーズンが違いあえて探さなかった
もう一つの大きな名物、お好み焼きである
これも、調査の結果 お好み村 と言うお好み焼きが集合した施設がありこの場所でお好み焼きをいただいた
沢山の店があり、どこのお店でいただいたかは失念してしまったが見て回っているときにこちら的な手招きをされたのでついついそのお店へ入ってしまった。
広島風お好み焼き?これは怒られるらしい
これがお好み焼きなと言う事なのだそうである
そうすると広島から関西を見たとき関西風お好み焼きなのであろうか?
私の私感であるが、お好み焼きはお祭りの屋台でいただく大阪焼きと言われる物で粉を混ぜ混ぜして作るお好み焼きなのである。広島のお好み焼きは薄いクレープの様な生地に大量の野菜が乗りそこに具材が乗ってソバが乗りひっくり返して供される。調理は店の人がする。正直な感想では広島焼なのである。これは、想像の話であるがお好み焼きとは粉を鉄板の上で焼く総称なのではないか?そうするとクレープなどもお好み焼きの一種になるのではないだろうか?
冗談はさておき、肝心の味の方であるがまずボリュームが凄い。作成過程で見ていた野菜の量も多かったし、それにソバをのせるのでかなりの量なのは想像がついた。昼食を普通にいただき2時半くらいの時間。正直お腹もすいていない状況ではあったのもある。お店の人にそんな話をしたところ、「広島はご飯と一緒に食べないで、これで一食なのでボリュームがあるんですよ」と言う事であった。まてよ?こんな私でもご飯と一緒にお好み焼きを食べたことがない。東京でも最近、お好み焼き定食を出すお店があるらしいと言う噂を聞いている。それならば今度探して行ってみるのも一興か?そう思ってしまった。話は味に戻るのであるが甘い。ソースが甘いのである。出汁を強く感じる味でもない。ソースの甘さが前面に出ている感じの味で上に乗った大量のネギが良いアクセントになっている。ソバにはそこそこの味が付いており野菜の甘さと良いマッチングである。皮の部分はガッチリと言う感じではなくシットリしていて食べやすい。さまざまな見方はあるのであろうが、一食でボリュームある鉄板焼きがこの形だったのであろうと思う。考案者が色々試した結果がこの形だったのだと言う事なのだと思う。
美味しかった
ちなみに2,000円位だったと思う
お好み焼きも食べた、宮島では牡蠣もいただいた
思い残すこともないのか?でも、広島での時間はまだまだある。お好み焼きのお店の方に聞いて平和記念公園へ歩いて行く事にした。周りを色々見ながらゆっくり公園へと向かう。
原爆の子の像
折鶴の像
ここより、原爆ドームを中心に望む事が出来る
しばし、立ち止まり鑑賞する
平和記念資料館を観覧する事にした
内容的にはテレビやネットなどで見た事がある内容で新たな発見はなかったように思う。私の年代では親が戦争を知っている年代で話も聞いている。
原爆ドーム
この真上で原爆が破裂したそうである
内部はなくほぼ外壁を残してそれを補強して立っている状態である。
再び歩いて広島の歴史。中世の世。毛利元就の子孫、毛利輝元の時代の広島城へと赴いた。
二の丸の方より城内へ入る
御堀は綺麗な水面である。
この辺りより5分程度歩いて初めて天守閣が見える
公演の一番小高い場所に天守閣がある。広島城は大きな館があったお城らしく、天守閣はそうおおきくはないと感じた。
原爆でお城もすべて吹き飛び再建したお城で鉄筋立ての建物となっていた。建物の古さだけが歴史を物語るのではない。復元、再建したお城であっても往時の思いが甦る物であればよいのである。内部は当時の鎧や刀や屋敷内部的な展示やらこれは何処でも同じ感じの展示である。
階段で天守閣へと上り詰める
毛利輝元はこの天守閣の景色を想像したのであろうか?
これは正確ではないが本州の西側はほぼ毛利領で160万石と言う説もあるが200万石は越えていたと想像できる。今の広島を見てみるとやはり毛利氏は強大なのである。中世に築いた基盤は一瞬で吹き飛んだように見えて実は残っていたのである。そう感じさせる光景であった。
広島城より歩いて路面電車まで戻り東京行きのバスに乗るため広島駅へ戻った
まず、バスの停留場を確認し牛丼的な簡単な夕食をいただこうかと思っていたが駅前に飲食店が少なく牛丼屋もなくとても途方に暮れた。駅ビルに行けば何かあるのではないか?そう思い駅ビルに入った所、飲食店は適度にあり落胆も快方である。
こちらが広島で最後にいただいた駅ビルの中にあった鮨
「元就セット」2,000円位
鮨、牡蠣フライ、アラ汁、茶わん蒸し
鮨は残念な感じの鮨
アラ汁は少々生臭い
茶わん蒸しは?
牡蠣フライは東京で食べたほうがおいしい感じであった
まあ、駅ビルの中なのでこんなものなのか?別の店にすればよかったのかもしれない。
私は食べ物に関してはポジティブな方なのでこうれこれで良いと思った。
広島駅20:35発の東京行きのバスで帰路に着く
3列シートで1万越え。新幹線より7,000円程度安い。値段の問題ではないのだが、行きは時間を上手く使うために夜行バスを利用したので帰りもこだわってバスにしてみた。私の年齢でいえば金銭的にもそこそこ余裕があり新幹線で疲れず素早く移動する手もあった。しかし旅と言うのはなんなのであろうか?一昔前であれば夜行列車で寝台を使って青春18きっぷで?そんな旅であったのではないだろうか?便利な乗り物で移動する旅も良い。しかし、時間を詰め込んで夜行で移動する旅も良い。その時々なのかもしれない。
新宿に7:40着予定であったが首都高への入り口が混んでいたようで8:30に新宿に着いた
戻って着替えてすぐ仕事である。
この旅も楽しかった。バスの運転手、立寄ったお店の方、宮島の鹿、すれ違った多くの旅人達すべてに感謝したい。
最後に広島の感想について少し書かせていただきたい。
広島市はビルの立ち並ぶ大きな都市であった。広い道に路面電車が走りよく整備された都市景観が印象的である。日本の戦争と言う誰も幸せになれない不幸な時代、日本の全てを背負って壊滅したのは世界中が知っている事実である。奇しくも今このBLOGを書いているときにお隣の国で核ミサイルの発射をしている。人類はいつまで愚かな選択をするのであろうか?神が人類を創造した時この愚かな事態を想定していたのであろうか?
現在の広島は繁栄が見えるのである。私の住む辺りではシャッターを閉めた店も多く見るが広島はそれが少なかった。人々がエネルギッシュに暮らして見えた。ビルの立ち並ぶこの大都市。一旦バラバラに破壊されたこの町は見事に復旧した。そう見るべきなのか?いいや、それは違うと感じている。広島は今も進化を続けているのである。かつて日本に強大な領土を納めていたこの地域の人々は再び這い上がって来ているのである。この町の影響力は増してくる。素晴らしい大都市であった。また好きな街が増えた。
1日目 東京駅(20:30発)~出雲大社(9:30着) 夜行バス
2日目 出雲大社参拝
出雲市駅(14:30発)~広島バスセンター(17:40着)高速バス
広島市内ホテル泊
3日目 広島市内~宮島口駅 JR移動 フェリーで宮島渡航
厳島神社参拝
広島市内観光
広島駅(20:30発)~ 夜行バス
4日目 新宿バスタ(8:30着)
2017年夏の旅行も3日目となった
前日より広島市内のホテルで1泊。夜も更けて早朝6:00起床となった
普段は朝食を取らないのであるが、ホテルに泊まっているときなどは朝食をいただいている
日々の生活は変わる事もないのだが、旅に出た時など朝食を取ることにしている。
準備も整い、出発。今日は世界文化遺産に登録されている日本三景の一つ安芸の宮島へ渡り、厳島神社などを参拝しようと思っているホテルで効果的な行き方をフロントに確認。路面電車で西広島駅まで移動する
この路面電車が古く床は木で出来ている。昭和46年、神戸市電より移管と書いてあったので神戸で10年走っていたとすると昭和36年から走っている事になる。車体は古さ満載であったが椅子も奇麗になっていたし最新の料金支払いシステムも導入してあった。気になったので運転席を見たが昔風だったのでやはり古いのだろうと思う。運転手さんが「交差点よーし」てきな指差称呼をしていたのが印象的であった。
JRに乗り換えて20分程度、宮島口駅に到着する。駅を降りると宮島へ渡るフェリーの看板が目に入る。脇には瀬戸内海がチラ見していた。降りた人は多い。
行きはJRフェリー
JRフェリーと宮島フェリーは航路が微妙に違い宮島フェリーはほぼ真っ直ぐ宮島の桟橋へ向かう感じでJRのフェリーは大鳥居の近くを通り桟橋へ向かう感じとなっている。事前に調査してあったためJRフェリーで鳥居を見ながら宮島へ渡る事とした。
フェリーは片道180円
15分程度である
牡蠣の養殖いかだだろうか?
瀬戸内海のほんの一角に漕ぎ出しただけであるが、昨日見た日本海とは違い穏やかで色の濃い海。午前の陽射しが波に反射してキラキラ美しい海であった。
それにしても人が多い。外人さんもかなりな人数が乗っている状況である。
海に浮かぶ?大鳥居
正確には立っている様なのであるが?
周りにはカヌーなどが多く景観的には若干残念なところは否めないが、カヌーで大鳥居をくぐるのを楽しみとしている方も居る。これは批判する話ではない。人それぞれである。
写真で写っている人と対比で鳥居の大きさが判るのも良いのかもしれない。
60tもの巨大な鳥居で自立して台風でも倒れないと何かに書いてあった
島に渡るとまず鹿に出迎えられる
エサを欲しがり人について歩いていくる
隙あらば頭をバックに向かって出してくる
そんな、状況であった
人になついており触れても興奮したりしない
平清盛公の銅像
厳島神社を整備して現在の形にした功労者で平家の氏神とのこと。平安の時代より続く寝殿 1200年代より続いているそうである。平家の築いた文化とはなんだったのか?源氏の武家社会はのちの日本にどんな影響を及ぼしたのであろうか?そんな思いをはせながら表参道を通らず海岸沿いを厳島神社方面へと歩く。
一旦、厳島神社の入り口を過ぎて仲見世方面の階段より太閤秀吉が造営した千畳閣へと登ってみた
雰囲気の良い路地より階段を上って千畳閣へ上る
横には五重塔がありこれは厳島らしく朱色で美しい。
これはあくまで想像の話であるが、秀吉がこれを造営したこの場所は厳島神社を見下ろす場所にあり権威の象徴だったのではないだろうか?さすがに千畳はオーバーなのだが秀吉が死去して造営が中断したそうであるが、これが完成した暁にはこの豊国神社が厳島神社を上回る壮大な物になっていたのではないだろうか?そう感じた。
内部には当時の武将たちが祝いの品として送ったであろう絵や書が多く飾ってある。
とにかく広く往時のままの状態を保存しいるのには頭が下がる。太い柱を立てるには大きな木材が必要である事は想像にたやすい。巨万の富を尽くして豊国神社、自分の名前を冠した神社を作る。それはロマンなのだろうか?
海と山から吹き降ろす風が通り清々しい空間になっていた。とにかく気持ちの良い空間であった。
厳島神社の入り口付近より上る事もできる千畳閣は軒下の空間で移動できる。こんな大きさも感じられてとても良い経験が出来た。
海岸通りより望む厳島神社
今日は大潮
海に浮かぶ朱色の寝殿
とても美しい
いざ、厳島神社参拝
千畳閣の厳島神社側より降りてくると入館に長蛇の列!
これは予想外の人数である。
待つ事十分程度
300円を払って入館である
何をモチーフに造営された寝殿なのか?
竜宮城を再現したかったのか?平家の美意識が感じられる実に面白い神社である。長い廊下があり幾つかの祠がありそれぞれ趣がある。
本殿に着くまでにまたぞろ廊下を歩いての移動である。人が多いのでアトラクション感覚もあるが静かな時であれば厳粛な感じになるのではないだろうか?そうも感じた。
こちらが本殿である
本殿は海側ではなく陸側なので海側ばかりを通ってここを通過してしまう人がそこそこいると思った。
本殿も美しく装飾されていて美意識の高さがうかがえた。
本殿の脇のお守り売り場の脇に御朱印場があり20分程度待って御朱印をいただいた。あまりにも人が多く神官さんも難しい顔になっていた。
御朱印の料金が書いていなかったので、気持ちなのだなと思い500円を出したところ200円を出されて300円になっております。といわれてずいぶん良心的なのだな~と感心した。並んでいる最中、外国人お方がずっと覗き込んでおり何をしているのか興味津々の様であった。御朱印をもらいお札を買って御朱印場の前を通った所、先ほどの外国人の方が並んでいたのを見ていい記念になるよな~そんなおせっかいな感情を持った。
少々気になったのだが休息を取るための施設が中にはないので本殿の海側のテラス状になっている辺り。欄干の所に腰を下ろしている人は数名いたのだがそんな事でも世界文化遺産が傷むので何か休息を取れる施設があってもいいのか?そう思った。
能楽堂(だと思う)
ここで見る能は別格なのではないか?
宮島にはほかにも色々な神社仏閣や展望台、水族館などがあるのであるがそれはまたの機会にして、とりあえず名物探索。
まだ11:00台ではあるが名物の穴子丼をいただく事にした
厳島神社のすぐそばにある山城屋と言うお店に入った
穴子丼が楽しみである
穴子丼(大盛りでご飯少な目)2,200円
普通盛りで穴子を多くしてもらえるか?そう聞いたところそれはないとのことだったので、では大盛りにしてご飯少な目はできるか?そう聞いたところそれならば大丈夫と言われたのでそうしていただいた。穴子多めにしてほしかったのである
穴子の身は柔らかめで癖がなく甘しょっぱい味付けなのだがくどくなく食べやすい。すし店でいただく穴子とも違い焼いて出てくる穴子で鰻よりくどくなく食べやすかった。隣の3家族程度の小団体の広島弁がエグかった。
今回はこれで宮島を後にして広島観光へ行こうそう考えて腹ごなしにゆっくり歩いて移動する
途中でこんな鳥にも出会った
宮島と言えば牡蠣
と言う事で焼牡蠣もいただいた
500円
美味しかった
表参道の様子
こちらはさらに食べ歩きもできるし沢山の土産物屋が軒を連ねている。ほぼ「もみじまんじゅう」
この中の一軒
牡蠣屋と言う所で牡蠣の瓶詰(オイル詰め)を二個購入
1,200円×2
土産に饅頭も悪くはないが甘い物ばかりでも面白くない。できる範囲で地元色の強い物をと探していた一品でもある。
自分では食べていないので味などは不明であるがフォアグラの様な味がするとの書き込みもあった。
表参道でお土産を買い来た道を戻る
広島駅でJRを降りて路面電車で移動する
広島のおそらく中心地なのであろう場所に名物を食べに行こうと言う趣向である
途中で見かけたBEERのゲート
広島の名物と言えば牡蠣なのか?お好み焼きなのか?
牡蠣はシーズンが違いあえて探さなかった
もう一つの大きな名物、お好み焼きである
これも、調査の結果 お好み村 と言うお好み焼きが集合した施設がありこの場所でお好み焼きをいただいた
沢山の店があり、どこのお店でいただいたかは失念してしまったが見て回っているときにこちら的な手招きをされたのでついついそのお店へ入ってしまった。
広島風お好み焼き?これは怒られるらしい
これがお好み焼きなと言う事なのだそうである
そうすると広島から関西を見たとき関西風お好み焼きなのであろうか?
私の私感であるが、お好み焼きはお祭りの屋台でいただく大阪焼きと言われる物で粉を混ぜ混ぜして作るお好み焼きなのである。広島のお好み焼きは薄いクレープの様な生地に大量の野菜が乗りそこに具材が乗ってソバが乗りひっくり返して供される。調理は店の人がする。正直な感想では広島焼なのである。これは、想像の話であるがお好み焼きとは粉を鉄板の上で焼く総称なのではないか?そうするとクレープなどもお好み焼きの一種になるのではないだろうか?
冗談はさておき、肝心の味の方であるがまずボリュームが凄い。作成過程で見ていた野菜の量も多かったし、それにソバをのせるのでかなりの量なのは想像がついた。昼食を普通にいただき2時半くらいの時間。正直お腹もすいていない状況ではあったのもある。お店の人にそんな話をしたところ、「広島はご飯と一緒に食べないで、これで一食なのでボリュームがあるんですよ」と言う事であった。まてよ?こんな私でもご飯と一緒にお好み焼きを食べたことがない。東京でも最近、お好み焼き定食を出すお店があるらしいと言う噂を聞いている。それならば今度探して行ってみるのも一興か?そう思ってしまった。話は味に戻るのであるが甘い。ソースが甘いのである。出汁を強く感じる味でもない。ソースの甘さが前面に出ている感じの味で上に乗った大量のネギが良いアクセントになっている。ソバにはそこそこの味が付いており野菜の甘さと良いマッチングである。皮の部分はガッチリと言う感じではなくシットリしていて食べやすい。さまざまな見方はあるのであろうが、一食でボリュームある鉄板焼きがこの形だったのであろうと思う。考案者が色々試した結果がこの形だったのだと言う事なのだと思う。
美味しかった
ちなみに2,000円位だったと思う
お好み焼きも食べた、宮島では牡蠣もいただいた
思い残すこともないのか?でも、広島での時間はまだまだある。お好み焼きのお店の方に聞いて平和記念公園へ歩いて行く事にした。周りを色々見ながらゆっくり公園へと向かう。
原爆の子の像
折鶴の像
ここより、原爆ドームを中心に望む事が出来る
しばし、立ち止まり鑑賞する
平和記念資料館を観覧する事にした
内容的にはテレビやネットなどで見た事がある内容で新たな発見はなかったように思う。私の年代では親が戦争を知っている年代で話も聞いている。
原爆ドーム
この真上で原爆が破裂したそうである
内部はなくほぼ外壁を残してそれを補強して立っている状態である。
再び歩いて広島の歴史。中世の世。毛利元就の子孫、毛利輝元の時代の広島城へと赴いた。
二の丸の方より城内へ入る
御堀は綺麗な水面である。
この辺りより5分程度歩いて初めて天守閣が見える
公演の一番小高い場所に天守閣がある。広島城は大きな館があったお城らしく、天守閣はそうおおきくはないと感じた。
原爆でお城もすべて吹き飛び再建したお城で鉄筋立ての建物となっていた。建物の古さだけが歴史を物語るのではない。復元、再建したお城であっても往時の思いが甦る物であればよいのである。内部は当時の鎧や刀や屋敷内部的な展示やらこれは何処でも同じ感じの展示である。
階段で天守閣へと上り詰める
毛利輝元はこの天守閣の景色を想像したのであろうか?
これは正確ではないが本州の西側はほぼ毛利領で160万石と言う説もあるが200万石は越えていたと想像できる。今の広島を見てみるとやはり毛利氏は強大なのである。中世に築いた基盤は一瞬で吹き飛んだように見えて実は残っていたのである。そう感じさせる光景であった。
広島城より歩いて路面電車まで戻り東京行きのバスに乗るため広島駅へ戻った
まず、バスの停留場を確認し牛丼的な簡単な夕食をいただこうかと思っていたが駅前に飲食店が少なく牛丼屋もなくとても途方に暮れた。駅ビルに行けば何かあるのではないか?そう思い駅ビルに入った所、飲食店は適度にあり落胆も快方である。
こちらが広島で最後にいただいた駅ビルの中にあった鮨
「元就セット」2,000円位
鮨、牡蠣フライ、アラ汁、茶わん蒸し
鮨は残念な感じの鮨
アラ汁は少々生臭い
茶わん蒸しは?
牡蠣フライは東京で食べたほうがおいしい感じであった
まあ、駅ビルの中なのでこんなものなのか?別の店にすればよかったのかもしれない。
私は食べ物に関してはポジティブな方なのでこうれこれで良いと思った。
広島駅20:35発の東京行きのバスで帰路に着く
3列シートで1万越え。新幹線より7,000円程度安い。値段の問題ではないのだが、行きは時間を上手く使うために夜行バスを利用したので帰りもこだわってバスにしてみた。私の年齢でいえば金銭的にもそこそこ余裕があり新幹線で疲れず素早く移動する手もあった。しかし旅と言うのはなんなのであろうか?一昔前であれば夜行列車で寝台を使って青春18きっぷで?そんな旅であったのではないだろうか?便利な乗り物で移動する旅も良い。しかし、時間を詰め込んで夜行で移動する旅も良い。その時々なのかもしれない。
新宿に7:40着予定であったが首都高への入り口が混んでいたようで8:30に新宿に着いた
戻って着替えてすぐ仕事である。
この旅も楽しかった。バスの運転手、立寄ったお店の方、宮島の鹿、すれ違った多くの旅人達すべてに感謝したい。
最後に広島の感想について少し書かせていただきたい。
広島市はビルの立ち並ぶ大きな都市であった。広い道に路面電車が走りよく整備された都市景観が印象的である。日本の戦争と言う誰も幸せになれない不幸な時代、日本の全てを背負って壊滅したのは世界中が知っている事実である。奇しくも今このBLOGを書いているときにお隣の国で核ミサイルの発射をしている。人類はいつまで愚かな選択をするのであろうか?神が人類を創造した時この愚かな事態を想定していたのであろうか?
現在の広島は繁栄が見えるのである。私の住む辺りではシャッターを閉めた店も多く見るが広島はそれが少なかった。人々がエネルギッシュに暮らして見えた。ビルの立ち並ぶこの大都市。一旦バラバラに破壊されたこの町は見事に復旧した。そう見るべきなのか?いいや、それは違うと感じている。広島は今も進化を続けているのである。かつて日本に強大な領土を納めていたこの地域の人々は再び這い上がって来ているのである。この町の影響力は増してくる。素晴らしい大都市であった。また好きな街が増えた。